むかちんの歴史日記

歴史大好き男による歴史のあるあるやトリビアを綴る日記★

むかちん歴史日記474 逆境こそチャンス!反骨を乗り越えてきた偉人・経営者・政治家④ 野球の神様~ベーブ・ルース

新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)

 

今日は、逆境こそチャンス!反骨を乗り越えてきた偉人・経営者・政治家シリーズの第4弾!!!

 

不屈の精神で野球の神様となった

 

ベーブ・ルース(1895-1948)

 

を紹介します。

 

Babe Ruth circa 1920.jpg

参照元 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%B9

 

ベーブ・ルースは1895年にアメリカ・メリーランド州でドイツ系移民の両親で、父親が酒場を営む家庭に誕生します。

 

母親は病弱で、父親は酒場が非常に忙しかったため、適切な教育を受けることもなく、勉強もおろそかであったため、学校をさぼって、喧嘩や非行に手を染めていました。

 

7歳のときに両親の手に負えなくなり、全寮制の矯正学校兼孤児院に送られ、その後12年間をそこで過ごします。

 

そこで少年たちの教官を務めたのが、ローマ・カトリックの神父、ブラザー・マシアス・バウトラー(Brother Matthias Boutlier)で、彼がルースに野球を教えたことで人生が大きく変わります。

 

マシアスは勉強や洋服の仕立てをルースに教え、またマシアスは美男でありながら198センチの非常に大男で、ルースは初めて会ったときから威圧感と畏敬の念を感じたといいます。

また、マシアスはバットを片手で振るだけで、ボロ布で作った粗末なボールを100m以上も飛ばせるほどの腕力の持ち主だったそうです。

 

1913年、野球部のエースとして活躍していたルースをワシントン・セネターズの投手であったジョー・エンジェルが偶然見て、マイナーリーグボルチモア・オリオールズのオーナー兼監督のジャック・ダンにルースを紹介、そして契約します。

そして1914年、ルースはボストン・レッドソックスと契約を結びます。

 

レッドソックスでは主に、投手として活躍しますが、打者としても才能の片鱗を見せ始め、同一シーズン内での10勝10本塁打というメジャーの歴史でも唯一の記録を残しています。

 

1919年、ルースはヤンキースに売却され、ここで打者として開花します。

メジャー初のシーズン50本塁打、34年間も破られなかったシーズン60本塁打など、数々の偉業を成し遂げました。

 

一方でルースを手放したレッドソックスはそこから2004年までワールドシリーズを制することができず、「バンビーノの呪い」として語られるようになります。

 

彼は、22年に及ぶ現役生活で、投手として通算94勝をあげ、最優秀防御率1回、

打者としては714本塁打首位打者1回、本塁打王12回、打点王6回、MVP1回という成績を収めます。

 

引退後の1946年、ルースは腫瘍が発見され、闘病生活に入ります。

そんななかでもベーブルース財団を設立させ、恵まれない子供のためのチャリティー活動を始めます。

 

1948年、ヤンキー・スタジアム開場25周年記念に参加し、ルースの背番号「3」が永久欠番となりました。

 

同年、ルースは肺炎のため、この世を去ります。53歳でした。

 

 

むかちん